国鉄を知らない人へ贈る「分割民営化」の話



国鉄を知らない人へ贈る「分割民営化」の話
4/7(金) 8:03配信 ITmedia ビジネスオンライン

国鉄及びJR7社における経常収支の変化(出典:国土交通省 国鉄改革について)

 20代の知人に、うっかり「国鉄を知らない世代だね」とメッセージを送ったら、「くにてつって何ですか」と返ってきた。笑ってはいけない。知らなくて当たり前だ。国鉄は30年前に終わっている。20代の人々が生まれる前の話だ。

 国鉄、日本国有鉄道が分割民営化され、JRグループが発足した1987年に生まれた人は、2017年現在は30歳だ。社会人になってそろそろ10年。仕事に慣れ、職務に応じて責任を持つ立場になっている。この人たちより年下の人々は国鉄を知らない。

 当時、子どもだった人も国鉄を認識していなかっただろう。当時10歳前後、現在の40歳前後の人が国鉄を知らなくても恥ずかしくはない。私は今年50歳になるけれど、正直に告白すると、30年前の20歳当時、国鉄分割民営化の詳しい内容は知らなかった。国鉄からJRへの変化を乗客の目線で感じただけだ。だから今回は、国鉄を知らない人へ、国鉄分割民営化をよく知らなかった私が、おさらいを兼ねて説明してみる。

 ざっくり説明すると、日本の鉄道は国が管轄する国鉄と、民間企業が経営する私鉄、そして自治体が運営する公営交通があった。このうち、国鉄は赤字経営がこじれて、25兆円を超える巨額の累積債務を抱えてしまった。そこで国鉄を精算し、民間会社として再出発させた。これが国鉄の民営化だ。

 国鉄を民営化するとき、全国一体の会社ではなく、地域ごとの旅客鉄道会社を作った。ただし、長距離で貨物列車を運行する会社は全国一体で残した。また「みどりの窓口」の指定席券システムなどコンピュータ管理を担当する会社も独立させた。新幹線やリニアをはじめ、鉄道の技術研究を担う部門も公益財団法人として独立した。この分割化と民営化を合わせて「国鉄の分割民営化」という。

●国鉄とは何か

 歴史の教科書にもあったように、1872年(明治5年)に新橋~横浜間で、日本初の鉄道路線が開通した。国(官吏)が建設した鉄道だから官設鉄道、または官営鉄道という。明治政府は全国に鉄道を建設しようとしたけれど、財力がなかったため、一部は民間会社に建設を許した。先行利益を許すと同時に、国が要求すれば譲渡しなくてはいけない、という条件があった。これらの私鉄主要路線を国が買い取って国営鉄道と呼んだ。当時の国鉄は国営鉄道の略称だ。

 第二次世界大戦で日本が負けて、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領時代になった。GHQは日本の民主化を進めるため労働組合を認めた。国営鉄道に労働組合を取り入れるため、国から分離し公共事業体とした。これが日本国有鉄道という特殊法人だ。国営から国有へ。国鉄は国有鉄道の略称となった。

 公共事業体とは、公共性の高い事業について国が出資した上で独立採算とした組織だ。日本ではほかに塩と煙草と樟脳(しょうのう)を扱う日本専売公社、電話を扱う日本電信電話公社ができた。国鉄と併せて三公社と呼ばれた。

 国鉄は利益を上げ、優秀な公共事業体となった。利益を累積して設備投資に備えた。しかし、1964年、国鉄は初めて8300億円の赤字決算となった。東海道新幹線の開業に沸く一方で、近距離交通では自動車が普及し、長距離交通では旅客機が発達した。世界的にも鉄道は斜陽産業と呼ばれ始めた。東海道新幹線の開業は、その起死回生策でもあった。

●なぜ国鉄の赤字が増えたか

 1964年度と1965年度の赤字は、それまで蓄積していた利益で補てんできた。その繰越金も底をつき、1966年度は完全な赤字決算となった。補てんの方法は主に、財政投融資からの借り入れと政府保証鉄道債券だった。これらは返済時に利子の支払いが必要だ。後年、その利子が増大して、ますます長期債務を増やす原因となった。

 1966年度以降は単年度赤字が長らく続き、借金は増える一方だ。晩年の1984年から、経営努力や運賃値上げによって旅客部門が単年度黒字になった。しかし、このとき既に金利負担が増大し、赤字体質から脱却できなかった。

 国鉄の赤字転落の原因は、自動車や航空機との競争だけではなかった。民業圧迫を避けるため、副業が制限されていた。私鉄のように不動産や流通部門の黒字で鉄道を支えるという仕組みはなかったのだ。

 設備投資費用もかさんだ。都市部に人口が増加し、通勤利用者のために設備の更新や増強が必要になった。政府の決定によって、地方の鉄道路線も国鉄が建設し、開業した。地方路線は赤字になりそうな路線がほとんどだった。また、政府の雇用対策の受け皿として、戦後の引き揚げ者などを大量に雇った。給料は年功序列で増え続け、定年退職すれば退職金、さらには年金の負担があった。準公務員だから、一定以上の役職には恩給も追加負担する必要もあった。

 国鉄が赤字を解消できなかった理由はもう1つある。晩年になるまで運賃の値上げができなかった。国鉄は特殊法人という性質のため、運賃値上げ、路線の建設、廃止、役員の人事に至るまで、すべて政府が法案を作成し、国会が議決する必要がある。その国会が運賃値上げを認めなかった。国鉄運賃に限らず、公共料金の値上げのほとんどが認められなかった。景気対策のためだった。

 国鉄にとっては、政府が値上げを認めなかったから赤字になったと言いたい。しかし政府にも国民をインフレから守る使命がある。政府の判断が間違っていたとは言い難い。

●値上げが認められても金利が増大

 国鉄の赤字問題が深刻となってきたため、1969年に日本国有鉄道財政再建特別措置法が成立した。経営の合理化、赤字ローカル線の廃止、新路線建設の凍結、国鉄用地に対して地元自治体に支払う市町村納付金(固定資産税)の減額などを決めた。

 それでも政府と国会は運賃値上げを認めず、新路線の建設は続行した。新路線の建設は国鉄自身ではできないため、鉄道建設公団を作って政府が建設し、国鉄に無償譲渡した。国鉄にとって建設費負担はなかったため、今までよりはマシだ。しかし、結果として赤字路線が増えたため経営をさらに圧迫した。

 1976年、ようやく国が運賃値上げを認めた。ただし、今までの赤字を取り返すため、同年の値上げ率は50%と急上昇となった。1977年にも50%の値上げ。そして、1978年から毎年の運賃値上げが始まる。この極端な値上げ策と、1975年の8日間にわたるストライキで深刻化した労働組合問題、その後の職員のモラル低下は、長距離旅客と貨物荷主の国鉄離れを招いた。

 それでも、値上げと合理化の効果はあった。国鉄最終年度の1986年度は、一般営業利益と幹線の利益で黒字となった。しかし、貨物の赤字、利子の支払いで全体的には1兆8478億円の赤字となった。国鉄の累積債務は25兆円を超えていた。途方もない金額であり、債務解消と赤字体質の改善が疑問視された。

 国鉄は本当に債務を返済できるか。当時の大蔵省(現・財務省)は、財政投融資からの貸し付けを渋り始めた。政府保証鉄道債券も引受先が危ぶまれた。国鉄にとって、赤字だったら財政投融資から借りよう、という技が、もう使えないかもしれない。

●なぜ国鉄を破産、または会社更生手続きとしなかったか

 国鉄問題は長期債務と職員のモラル低下の問題として国民に認知された。職員のモラル低下は国鉄の労務政策の失敗や、それに反発した労働組合運動の激化などによる。今回は長期債務の話に絞るため、別の機会としよう。

 政府は事態を決着させるため、長い議論の末に国鉄の分割民営化を決定する。国鉄の旅客部門は地域ごとに6社に分割。鉄道施設も旅客会社に譲渡した。貨物部門は旅客会社に線路使用料を支払う形になった。国鉄の長期債務と、新会社で雇用されない職員は、国鉄清算事業団が引き取った。

 国鉄清算事業団は国鉄遊休地の処分で債務を返済し、職員の再就職先を斡旋する業務が主だった。長期債務の総額は約37兆円。このうち、JR東日本、JR東海、JR西日本が合計約6兆円を引き取り、新幹線鉄道保有機構も約5兆5000億円を引き取った。残りの約25兆5000億円を国鉄清算事業団が引き受けた。

 ここで、企業経営に詳しい人は「国鉄が破たんしたにもかかわらず、なぜ債務が残っているか」と疑問に思うかもしれない。大企業が破たんした場合、破産と会社更生と民事再生の3つの手続きがある。どれも債務の返済は停止され、のちに減額や放棄が行われるからだ。

 破産の場合は債務を解消し、残った財産が債権者に分配されて会社は解散。会社更生の場合は裁判所が選任した管財人が、財産と経営権を掌握した上で、新たな経営計画や債務返済計画を策定する。債権者に減額または一部放棄を求める。経営陣は全員辞職し、株式は100%減資となるため、株主も出資金を取り返せない。民事再生の場合は、債権者の合意の下で新たな返済計画を作って企業を存続させる。債権者が合意すれば、経営陣が交代しない場合もある。

 しかし、国鉄については破産も会社更生も民事再生もできなかった。理由は、債権者が政府だったからだ。国鉄の長期債務は財政投融資と政府保証鉄道債券だ。大蔵省は、これらの減額も一部放棄も認めなかった。

 当時の財政投融資は郵便貯金、簡易保険、国民年金と厚生年金基金を運用していた。民間銀行が決断できないような、長期で大規模な投資先のために作られた制度だ。法律で、安定した投資先に運用が限定されていた。国債の買い入れ、住宅金融公庫、収入が見込める独立行政法人などだ。国鉄もその1つ。その債権を放棄すれば、郵便貯金の金利、簡易保険の支払いはできなくなり、年金制度は破たんする。

 政府保証鉄道債券は政府の信用に基づいて運用されていた。これが紙くずになってしまったら、政府の信用は失う。今後、国債をはじめとする政府の債権は運用できなくなる。外国が持つ日本国債が暴落すれば国際問題になる。円も暴落し、日本経済が破たんするかもしれない。

 もし国鉄が政府系金融ではなく、民間の銀行から借りていれば、金利はもっと下がり、債務はもっと小さかったかもしれない。しかし、国鉄が要求する1兆円単位の資金は民間では支えられなかった。民間の資金を調達する上でも、国鉄の民営化は必要といえた。

●国鉄清算事業団は逆に債務を増やした

 国鉄が分割民営化されてJRになった。これは正確ではない。長期債務の負担が大幅に減ったため、会社更生にも似ている。しかし、JR各社は政府が100%株主となった新しい会社で、国鉄を承継したわけではない。そして債務は消えていない。国鉄の債務と人材を承継した組織は国鉄清算事業団だ。

 国鉄清算事業団が引き継いだ遊休地の公示価格は約7兆円だった。すべて処分しても約25兆5000億円には足りない。元々、国鉄清算事業団が債務を解消した残りは国の一般会計で処理すると決められていた。その前に、できるだけ債務を減らす役割が国鉄清算事業団だった。

 ところで、国鉄遊休地の売却には一瞬だけ追い風が吹きかけた。バブル景気の到来だ。地価高騰時代を迎えた。汐留貨物駅跡など一等地の価格は2倍の価値があると言われた。ここですべての遊休地を処分すれば、長期債務の半分くらいは減らせたかもしれない。しかし、この時期に土地売却はできなかった。政府が国有地などの土地売却を停止したからだ。理由は過剰な地価高騰を招く恐れがあるからだ。

 政府は新会社のJRに対しては介入しなかった。しかし、国鉄の債務を継承した国鉄清算事業団には介入を続けたと言える。政府の処置は国鉄の債務返済の障害となった。しかし、もし土地売却を認めたら、バブル期の地価高騰が進み、バブル崩壊後の混乱はもっと大きかったかもしれない。政府の判断は一方的に攻められるべきではないだろう。

 国鉄遊休地の売却は、バブル崩壊後から再開された。しかし景気が悪く、土地の買い手がつかない。その多くは自治体が再開発用地として引き取った。当初は10年間で終了するはずの土地売却処理は終わらず、長期債務はさらに金利を増やした。約25兆5000億円の債務は減らすどころか、逆に約28兆円に増えてしまった。

 国鉄清算事業団は解散し、業務は日本鉄道建設公団が引き継いだ。現在は独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構となっている。処理が進まなかった国鉄遊休地の処分は、30年後の今年にようやく終わる。旧梅田貨物駅跡地のうめきた再開発用地と、仙台市長町の操車場跡地だ。

 残された長期債務の約28兆円は、予定どおり1998年度から一般会計で処理されることになった。郵便貯金の金利収入、たばこ税の増額、国債などの財源だった。要するに国民の負担だ。返済計画期間は60年。あと41年間、国民は国鉄の債務を負担することになる。

 国鉄を知らない読者諸君が払う税金も、国鉄の債務返済に使われている。ちなみに、1904年に始まった日露戦争の戦時国債は海外からの借金で、政府はその返済に82年かかった。返済終了したときは1986年だ。担保は関税収入だったと言われている。

●過去の追求に意味はない

 国鉄には国鉄の事情があり、政府には政府の事情があった。公共事業体の国鉄の運営責任は政府にある。ではその政府の責任は誰がとるか。政治家か。いや、政治家を選んだ国民にある。そして今、私たち国民は国鉄の破たんの責任をとっている。

 倒産した会社、失敗した事業。原因は誰か、責任は誰がとるべきか。しかし、探ってみれば悪者は誰もいなかった。当事者それぞれが信じた生き方を貫き、守るべきものを守った。それがこじれてしまった。そんな案件もある。

 30年前の国鉄分割民営化がまさにそうだった。国鉄の借金は国民が責任をとり、鉄道事業はJRグループが引き継いで責務を全うしている。JR東日本、JR東海、JR西日本とJR九州は成功し、JR北海道とJR四国は危機感を募らせる。その結果に対して、国鉄分割民営化の是非を考えても仕方がない。過去にとらわれず、現状を分析して適切な判断をしたい。



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