激しい抵抗も、信念貫き「ルック」ブランド統合 – 日本経済新聞



■営業企画課長を経て、1993年に海外旅行営業部次長に就いた。

 海外旅行営業部次長になって間もないころ。全国の幹部を集めた合同会議がありました。当社には海外旅行で高価な「ルック」と廉価な「パレット」の2つの商品がありました。92年度に主力のルックの取扱人数が年33万人となり、パレットの34万人を下回る逆転現象が起きたのです。「ルックはこのままでは死んでしまう」。2つのブランドの改革を命ぜられました。

 現場の声を聞きに店を訪れると、スタッフからは「できれば質の高いルックを売りたい。一本化してほしい」との声が多く聞かれました。ブランド認知度はルックが8~9割でパレットは1~2割。しかし、価格と品質の差が曖昧で、ルックは一生懸命売ろうとしても売れない。来店客が購入を迷ったらパレットを紹介して買ってもらうという例が圧倒的に多かったのです。

■2ブランドをルックに統合することになったが、激しい抵抗に遭う。

会議に出席するため中国へ

 現場は賛成、支店長は大反対でした。パレットを売っていた店の支店長からすればファン数千人をなくすわけですから。チームで全国津々浦々を説明に回りました。説明のために数十ページもの分厚いシナリオをまとめ上げました。当時パソコンは普及しておらず全て手書きです。ブランドをなぜ統合するのか、どうしたら商品が売れるのか。必死に説得しましたが、支店長からは「本社の官僚なんか帰れ」と罵声を浴びせられました。

 当時、当社の営業成績は良くありませんでした。けれど、ルックには勝算があった。3年で取扱人数を年100万人に増やす目標を掲げました。メディアには「お手並み拝見」と書かれましたが、バブル経済が崩壊しても海外旅行は毎年大きく伸びていたのです。海外旅行は1度味わうと再び出かけたくなるもの。海外旅行は必ず大衆化すると踏んだわけです。

■94年、統合を果たした「ルック」が新たにスタートした。

 商品ができても宣伝という投資は不可欠です。当時の松橋功社長は毎年5億円もの宣伝費を投じることを許してくれました。経営会議では物議を醸しましたが、私には自信がありました。読みが当たり、96年2月の時点で既に100万人が見え、1年前倒しで目標を達成できました。そして、川崎支店長として転勤することになります。

 自分の中で一貫しているのは改革への意欲です。ルックのブランド統合は大きな節目でした。誰もできなかったことをやり遂げたのですから。既存のものを捨てる改革は一筋縄ではできません。抵抗は避けられず、ちゃんとプロセスを踏む必要があります。本気で改革する時は現場に行って考えるべきです。改革の原点はそこにありました。

〈あのころ〉
バブル崩壊後の景気低迷で、法人需要は大きく減った。急激な円高で輸出産業を中心に日本経済は大きな打撃を受けたが、海外旅行は円高を追い風にして回復。日本人の出国者数は初めて年1500万人の大台を超えた。JTBでも海外旅行での主力商品「ルック」が躍進を遂げた。

[日本経済新聞朝刊2016年6月14日付]

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